2. 老朽化した船

 その機会は不意にやってきた。
 2020年4月、あるお二人から結婚指輪の製作依頼をいただいた。男性の方は、僕のやや遠い親戚にあたる方で、彼とは顔を合わせるのが初めてだったが、彼のお母さんや叔父さん、お祖父ちゃんのことは知っていた。特に彼のお祖父ちゃんや、その息子である叔父さんは、昔から僕の父や兄と同じく潜水業を営んでいて、彼の叔父さんは今も、僕の兄と一緒に潜水士として働いている。

 指輪の打ち合わせのために、お二人がウチの作業場に足を運んでくれた際、彼はしきりに「懐かしい」と言っていた。ウチの作業場から、ほど近い場所に住んでいたお祖父ちゃんの家に、小さい頃によく遊びに来ていたのを思い出すとのことだった。

 彼はお祖父ちゃんが好きだと言った。そのお祖父ちゃんは、彼がまだ小さい頃に亡くなったのだが、彼の記憶には、はっきりと残っているらしい。優しくて強い人だったと、そういうことを、彼は繰り返し言っていた。その言葉には尊敬と愛情が込められていた。

 指輪の打ち合わせが終わり、お二人が帰られた後も、僕はそのことを考えていた。僕の心の中に何かが残っていた。そしてふと思い当たるものがあった。



 港に繋いである船。今はもう使われていない老朽化した船。僕が普段、父の手伝いとして、父が仕掛けた網で獲った魚を、早朝の港の船の上で捌く時に、毎回間近で目にするその船は、確かかつて彼のお祖父ちゃんと叔父さんが乗っていた船だった。
 その後、船体は老朽化して、実用に耐えないものの、エンジンはまだ健在であるため、彼の叔父さんから引き継ぐ形で、今は僕の兄が所有しているはずだ。

 すぐに見に行く。
 いつもと変わらず港に停泊しているその船に乗り込み、目に付いた部品を確認していく。そこにはやはりステンレスの部品がたっぷりと使われていて、その中に僕が探していた物も確かにあった。



 二人の指に合うサイズのステンレス・ナット。
「このナットから、二人の指輪を作ることができれば」
 早速、船の所有者である兄に、部品を外す許可をもらい、そしてお二人にその旨を報告した。「昔、お祖父ちゃんが乗っていた船の部品から、お二人のご結婚指輪を作らせていただこうかと思っています。」
 彼は驚いていた。「え、そんなことが出来るんですか?」
 改めて彼に状況を説明し、僕が思い描いた指輪製作のプランを提案した。
 お祖父ちゃんの記憶とともに、船の一部を受け継ぐような指輪にしたいということ。
 その船の現在の所有者が僕の兄で、部品使用の許可ももらっていること。そして、これが僕が前々から思い描いていた物作りとも合致していること。
 彼は、かつてお祖父ちゃんが乗っていた船が今だにこの港に実在していることを知らなかった。
「お祖父ちゃんの船の部品から結婚指輪を作ってもらえるなんて。涙が出そうです。」

 彼はそう言って喜んでくれた。こうして、祖父の誇りの詰まった船の部品が、時を経て、形を変えて、孫の結婚指輪になる。そんな物作りが実現することとなった。



 晴れた日を見計らって、早速船のナットを取り外しに行く。
 大きなスパナを用意して港へ出向いて船に乗り込むと、あらかじめ目星を付けていたナットへスパナを掛ける。何十年も船の部品を締め付けていたナットだけにさぞかし手強いだろうと想像していたのだが、意外と手こずることなく取り外すことができた。

 取り外したナットには、おそらく40年か50年か、とにかく長い年月を思わせる薄いサビの汚れなどの経年変化の跡が見て取れる。ナットそのものも現在のものより簡素な形状をしていて、当時を思わせる。
 実直で無骨なネジだ。
 ネジとしての機能だけを求めて作られ、長い間、その役割を果たしてきた姿が、そこにある。まるで、この船そのもののようだ。



 このナットから指輪を作ることを想像すると、それだけで気持ちが高揚してくる。男性用、女性用の2種類のサイズのナットを外し終えて、船を降り、早速作業場へ持ち込む。あらためて観察する。やっぱりナットの形状のバランスが現在のナットとは違う。そこに時代の変化を感じるとともに、改めて今回の指輪作りに対する感慨のようなものが湧いてきて、いっそう身が引き締まる思いがした。


(つづく)

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